- 般若心経について、その解説はいろいろあるので、
- 特にひろさちや著「入門 般若心経の読み方」など参考にしていただければと思う。
ここでは、今まで伝わっていなかった次元の情報を扱う。
- これは魂のメッセージ。神のゆるし、讃美のうた。その意味を理解できる人間への呼びかけ。人類へのギフトの一つ。
- 【神の波動】(2008.1.25)
- 神様の波動を表現すると、陰と陽のエネルギ−の調和で、ある意味…「子宮のある父親」とか「男性的な母親」とか、そんな感じになる。
- 今のところ「子宮のあるお父さん」という感じが、合っているかも。その意味は、生み出す力が=子宮で、抱え込まずに自由に旅をさせる姿勢が=父親的、というところ。
- だから、サバサバしているお母さん、とも言える。微妙に力強くてがっしりした感じが出ると、ぴったりかも。
- ある意味、宇宙の神様は本当は「女神」だ。それが、両性具有の「霊的人類」を創った。そのあと、肉体としてのアダムを創った。
- アダムには、女神から霊的世界のサポートエネルギーが送られていたのだが、肉体を持つと波動がガンガン下がるため、波長の高い女神のサポートは届かなくなった。そこで、宇宙(神)は、アダムの一部を使って肉体としての「女性」イヴを創ることになった。そこからの歴史が「聖書」に描かれている感じ。
- 歴史は、肉体を持った人間レベルで書かれているから、途中からしか情報が降ろせない。
- それでも、イエスキリストを登場させて、原罪をあがなわせ、(本当は最初から罪などないので)人間は許された(許されている)と伝えた。
それなのに、闇の抵抗勢力(後のイルミナティ)の陰謀 (笑)で、人間は罪深いのだとか裁かれるのだとか、方向性のズレた洗脳(イリュージョン)に浸かってしまったが。
女神(セラフィム)と男性との関係は、説明すると長くなるのでここでは省略する(セッションか「ヴィーナス女神セミナー」の記事でどうぞ)。
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【般若心経によせてのメッセージ】
- この世界に興味がなくなった時、最後に書こうと思ったメッセージ。
- とりあえず、自分がいついなくなってもいいように、今のうちに書けるだけ書いて残しておくことにした。
- 本当に大事なメッセージは、直接対面で伝える方が早いのだけれど…必要な人は、もう気がついているだろうということで。
- ★
- 「プラジニャーパーラミター」
完成された彼岸の智慧
完全なる宇宙の法則
成就せよ究極の智慧のさとり
- ***
- 来てくれてありがとう
光に戻りましょう
それは彼岸の道
讃え合いましょう
究極の悟りの成就を
- *
- あるとき地球の片隅で
すべてを見通す大天使が悟りに到った境地を、ブッダが語った
宇宙の神理とそのしくみを実践して、光に返るその方法
- 「シャーリープトラよ、あなたに話そう」
- *
物質は、よく見ると実体がない
同じ性質を持っているものが、違うかたちをしているのだ
- さまざまな表現をとっているが、
すべては素粒子で出来ている
- 素粒子には周波数(回転)があって、たえず動いている
たえず移動してかたちを変えている
- だから、一時何かのかたちになったとしても、本質は変化していない
- 美しいと思っても一瞬
この世でいう穢れもほんの一瞬のことなので、
無いに等しい
- *
- 実は、素粒子が波動で形作られた世界だから、
本当は、我々が感じている、眼・耳・鼻・舌・身・意の6つの感覚もなく
- 色・声・香・味・ 触・法という(6つの感覚器官がとらえる)対象世界もないといえる
色も音も香りも味も感触も心のありようも、幻のようなもの
すべてエネルギーの循環だから、限りが無い
- 「何々界」「何次元」と読んでいるものも、存在しているのは話題にしている一瞬だけ
- *
素粒子の世界は光の世界でもあるので、
- 明るいようでいて明るすぎて何も見えない(闇と同じ)
- *
まぼろしだからもともと生きていない、だから当然結果としての老いも死もない
- こだわりを持った時に、迷いや苦もあらわれる(創ることができる)
- あらゆることが循環なので、あると思ったらまたすぐ形を変える
得たと思っても、やはり一瞬のこと
だから、まるで得ていなかったかのように空しい
ということは、恐れていることも一瞬
- *
- それが悟りの境地(宇宙の姿)
完成された彼岸の智慧というもの
その究極の智慧を実践すれば…
一切の悩み事がはずれて、ゆったりとした波動になる
- ニルヴァーナ(煩悩のない静けさの世界)に入り、過去・現在・未来に存在している天使達は
- ありのままに眺めることができる智慧の実践で、正しい完全な悟りを得ている
- それぞれの役割を見守っている
- 誰もが、この平等の視点、直感的で総合的な視点をもてば、
この上なく優れた正しく完全なる悟りを得られる
- (宇宙の中心のエネルギ−と一体になる)
- *
- だからこそ、
- この「般若波羅蜜多」という言霊は、とても大事な意味を持つ
言葉はすなわち波動
波動は素粒子を束ねる
素粒子は言葉の波動に束ねられ、その境地へ(物質化する)
- *
- ここに道を求める者へ
大きな贈り物となる言霊を伝えよう
神の真言、大いなる光、これ以上のものはなく、これと等しきものもない…
- ***
- 「プラジニャーパーラミター」
すべては祝福のもとに作られた物語
- *
- 大天使の名はアヴァローキティーシュバラ(観自在菩薩)
- 「神(宇宙)が、どんなにか我々を愛しく思っているか
- この贈り物が証となるだろう」
- ----以上---
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- 【スピリチュアルな視点からの解説】
- すでに、この時代から宇宙は素粒子でできているという情報は伝わっていた(残っていた)。
それを検証できる時代が、またやってきた。
何々次元…という階級もまぼろしだと、とっくにわかっていた。
それでも我々が存在する意味とは何か?
修行したい魂もいただろう。楽しみに来た魂もいるだろう。
この世界は、波動が低いため、記憶を失う。それがわかっていて我々は来たのだ。
わざと記憶を失い、見えなくして、そうしたら冒険と感動がやってくる。宇宙では得られない「感動」の世界。
そのことを忘れたのが苦行の哲学。偏った哲学。
「ある」と「ない」は、バランスよく存在していなければならない。
歴史上の宗教は、時代と共にバランスを失っている。恐れを持った人々の策謀に捕われたので仕方ないが。
- その陰謀者たちも、宇宙の役割として存在している(その説明は、闇関係のテーマの中で)。
神を知らないから、偏りに気がつかない。人間の素晴らしさを信じないから、神を知ることができない。
- この事実自体が修行。人間の魂は磨かれた。
これが、ゆるし。宇宙のゆるし。
神を知ることを許されていると、思い出すこと。すべてが約束であると思い出せること。
思い出す時がやって来た。約束の時がやって来た。
- ☆
- 般若心経が一種の呪いの文章であるという説もあるようだが、訳文(↓このページ下参照)を見ればそう言いたくなるのも納得できる。
もともと、これは在家の仏教徒から出家の仏教徒に対して、皮肉に書かれたものでもあるという。
それにいきなり、すべてが空(くう)だとか言われても、素粒子の科学を知らない時代には、混乱を招いて不幸を増すだけだったかも。
今なら、映画「マトリックス」の世界観がいろいろ解説してくれるけれど。
しかも、最後のマントラの訳し方からして、突き放したような印象も受ける。
しかし、コトダマが一度放たれて何年も残っているというのは、宇宙の真理が一部でもそこに存在しているということ。(一部と言ったのは、宇宙の無限さの中では、もっとたくさんの情報[光]が存在するからだが)
表も裏も納得できなければ、宇宙の神理とは言えないということなので。
- 本に載っていた解説について:
最後のマントラ「ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼうじそわか」は、修行を積んだ者が唱えれば、高次元のエネルギーを降ろせる呪文になっている。
- 訳は、「往き、往きて、彼岸に達せる者よ。まったき彼岸に達せる者よ。悟りあれ、幸あれ」や「行こう行こう、悟りの境地へ」というのが一般的らしく、呪文なので、無理矢理訳したら…ということらしい。
- 雰囲気としては、讃美か誘いのような意味に感じる。
これはもともとサンスクリット(梵語:ぼんご)の口語を無理に訳したものだからなので、本来高次元のメッセージであれば、最低でも訳は2種類〜3種類…つまり二重三重の意味が含まれていることが前提でなければならない。
- チャネリングで高次元(神様)からの波動(光)を感じると、大量に情報が含まれているので、それを訳すとなると言葉がたくさん必要になる。それを究極、まとめると、だいたい陰と陽2種とか、中道を含めた3種のメッセージになる。
- ここでは、特別に情報を開示して、ひとつの解釈を提供する。
般若心経のマントラは梵語では「ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー」と発音する。
- 表面的には「道よ、道よ、素晴らしき道よ、悟りを成就させたまえ」とも読めるが。
これは、本当に呪文(真言=霊力のある言葉、コトダマ)である。
つまり、唱えていると波動が高くなり、唱えている境地につながるアファーメーションでなければならない。
その視点からメッセージを聞くと、こんな歌になった。
- 行きてまた
戻り来らるる
その境地
賛美せよ
究極の悟りの成就
- *
- 女神よ、あなたは行ってしまった
かつてこの地へと降り立った
魂の道を去って
われらの賛美を聞き届けて下さい
悟りの境地が成就しますように
- ☆
- あなたは戻って来てくれた
宇宙へと飛び去った
かつての道から
われらの祈りを聞き届けて下さい
宇宙の真理が悟れますように
- ☆
- さあ、往きましょう
光に戻りましょう
それは彼岸への道
今こそ共に讃えあいましょう
究極の悟りは成就しました
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- 【一般解説】通常の、般若心経解説では;
- あるときお釈迦様が説いたお話(という設定)。
- むかし、観自在菩薩(観音様)が、より高次の彼岸に至る真実の智慧を実践されたとき、「色・受・想・行・識(物質・感受・表象・意志・認識)」の物質と精神は、みな空(実体がない)とあきらかにして、一切の悩みから解放された。
「シャーリプッタをはじめとする修行の徒よ、実はこの世のあらゆる物質存在(色)は、実体がない(空)と同じで、実体のない空の状態は、そのまま物質存在と同じなのだ」
すべて宇宙は素粒子で出来ていて、素粒子ははかることができない。
「受・想・行・識(知る・感じる・判断する・意欲する)」の我々の精神作用も同じこと
- シャーリプッタよすべての「存在」は実体のないものであって 生まれる滅びるもないし、汚れも浄化もなく、増えも減りもしない。
それゆえに空 の中には、物質の色や形もなく、四つの精神作用もなく眼・耳・鼻・舌・身・意の6つの感覚もなく色・声・香・味・触・法という(6つの感覚器官がとらえる)対象世界もない。
その6つの感覚器官がとらえる対象世界が統合されて、6つの認識判断が行われるという「十八界」のすべてがない。
無明(過去生の煩悩)もないので、煩悩が減ることもない。人間の根源的無智迷妄がなく、だからそれが消滅するわけでもない。結果としての老死もない。
そもそも始めから迷いもなく、老死もない、こだわりがあるとき、それらがあらわれるのだから。
- 苦(心や身体の病の状態)・集(苦の原因)・滅(原因を滅する)・道(苦を滅するための実践)もない。
智慧もなければ、人間に得られるものもない。本来、無所得なのだ(=空である)。
- 菩薩は「彼岸に至る真実の智慧」によるがゆえに、心にわだかまりこだわりがない。
わだかまりがないので、恐れることがない。
一切の逆さまな考えや夢のような妄想(幻覚)を離れて究極の涅槃(ニルヴァーナ=煩悩のない静けさの世界)に入り、過去・現在・未来に(それぞれ)存在している諸仏も、真実の智慧(ありのままに眺めることができる智慧)の実践で、この上なく正しい完全な悟りを得られている。
- それゆえ、知るべし。般若波羅密多は大きな威力を持ったマントラ(霊力のある言葉=呪文)であることを。
すばらしい智慧の呪文であることを。最高の呪文であることを。くらべるもののない呪文であることを。
いっさいの苦を取り除いてくれる、真実にして虚のないものである。
そこで、「プラジニャーパーラミター(真実の智慧)」の真言(マントラ)を伝える。
これがその真言である。
「ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼうじそわか」
(往ける者よ、彼岸に往ける者よ、完全なる彼岸に往ける者よ、悟りよ、幸いあれ)
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